かわぐちスポット

貝塚に見られる川口のおいたち 川口の名称
川口に人が住み始めたのは、約2万年前といわれ、そのころ、川口の南部は、海面下にあり、北部台地に旧石器時代の遺跡や、新郷、小谷場には、貝塚が見られ、 海辺生活を営んでいたことがうかがえます。川口市では約6,000年前の縄文時代前期に作られた小谷場貝塚が最も古いです。この時期は海が最も内陸へ進入 していたころで、海水に住むハマグリやアサリなどが多く発見されています。新郷貝塚は市内で最大規模のものであり、原形を留めている数少ない遺跡として埼玉県でも有数の貝塚として知られています。ヤマトシジミ、セタシジミ、オキシジミ、ハマグリ、ハイガイ、サルボウ、シオフキ、サザエ、アカニシ、カガミガイなどの貝が出土しています。 川口という地名はもともと、「小川口」と呼ばれていたそうです。旧入間川(現在の荒川)の河口に臨んでいたことから由来されているといわれています。治承4年(1180)源頼朝の挙兵に加わるため弟義経が鎌倉に向かう途中、川口の渡しで兵をあらためたことが「武蔵国足立郡小川口に着き、兵を閲したところ八十五騎になっていた」と『義経記』に記されています。また、鎌倉時代の後期に作られた日記文学『とはずがたり』にも小川口(こかわぐち)という地名が記されれいます。その後、徳川2代目将軍・秀忠が「川口」に改めたといわれています。
天領と日光御成り道の宿駅
赤山城跡 江戸時代、幕府の直轄領として代官の支配下にあり、赤山城跡(左)は、この郡代伊奈氏の館あととして、その遺構が見られる。徳川家康の霊びょうが日光に移ってから、中仙道の脇街道として整備され、日光参詣の将軍の休けい所や駅逓業務を行う問屋場があった。
かわぐち
地場産業と発展過程
享保年間(1716~36)に見沼用水が開さくされ、これまでの陸上交通に加え舟運の便が向上したことが、地場産業の発展に貢献した。鋳物産業は、江戸中期以降は技術の確かさと、江戸市民の需要増により盛んになった。また承応年間(1652~55)に安行の吉田権之丞によって始められた植木は、度重なる江戸の大火に需要が増大し、加えて江戸という大消費地に近いという 立地から産業としての基礎ができた。更に、芝川流域に良質な竹の自生地があったため、竹製の釣竿の生産が始まり、これも江戸という商業地をひかえ盛んになり、現在も「川口の和竿」として伝統産業の一角を担っている。 写真
ぷらりお散歩にどうぞ
武州川口七福神めぐり 川口市内で初詣 桜便り
芝川サイクリングロード フラワーベルト かわぐちキャスティ
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