No.35 2000年4月号 Vol.317

明治38(日露戦争祝勝)ごろの川口宿

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川口宿の明治38年(日露戦争祝勝)ごろの写真です。今の本一通りを、荒川堤の所から撮ったもの。川口と云っても、そのころの宿は、ここから今の本町ロータリーまでの3丁ほどが中心でした。日本橋から本郷、王子、岩淵を通り、川口の渡しで荒川を渡り、埼玉の入り口にかかり、錫枝寺の門前で右へ曲り、鳩ヶ谷、岩槻、幸手と進んで行くのが、この日光御成街道(昔の鎌倉街道)でした。

この街道だけは商店街で、いつもこんな賑わいでしたが、一歩右(荒川寄り)か、左(金山町)へと踏み込むと、戦争景気の鋳物工場と、その下請けの木型屋さんや、職工さんたちの長屋がビッシリと並んでいました。右、とっつきの建物及びその向こうの石倉が、当時の町長、綿屋伝次郎(初代市長岩田三史の祖父)の店でした。

文・写真提供:岩田健氏 明治38年ころ

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